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プロフィール

HN:
安田ヨウコ
性別:
非公開
職業:
アレクサンダー・テクニーク教師
趣味:
アレクサンダー・テクニーク
自己紹介:
レインボーラボの安田ヨウコです。
アレクサンダー・テクニークのレッスンや、バッチフラワーのセッションなどを通じて、セルフプライマリーケアを提案しています。

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かきとりφ(..)ではなくてかきととり。
安田ヨウコです。
ほら↓



今朝、家を出たら、近所の柿の木に小さなとりが何羽も羽ばたいてさえずって、あたかも

「まじー!すごーい!」

「やったー!」

「わーいわーい!」

と言ってるような雰囲気だったのでした。
しかも全部が緑色の鳥だったので特別興味深く、そっと近づきました。

写真が不鮮明かもしれないです。最大ズームで日陰も手伝って…。

私が近づいたら小鳥たちは、

バーッ!

と、目にも止まらぬ早さで飛び散りました。
でもすぐに戻ってきて、
人の様子を横目で見ながら、また柿の実の周りをぴょんぴょんしています。

ウグイスにはまだ早い。よく見ると眼の回りが白いからメジロかもしれない。

なんだかワクワクしてしまいました。

この柿の木は住宅地の小さな家の脇に生えていて、特に立派なものではないけれど、以前からときどき眺めていました。

毎年冬に丸裸になり、そこから緑の芽を出し、大きな葉を生やし、花を咲かせ、油絵の具のパレットのような色彩の紅葉に変わり、オレンジ色の(柿色?)の実をつける。

当たり前なのにすごい偉業です。
だから私はこの柿を尊敬していました。
(この事を私の分身の山下月子が 「時の実」 という文章に書いたことを思い出しました。)

今日はその柿がさらに緑色の素敵な鳥たちに魅力的なスウィーツを提供しているのを見て、ますます尊敬しました。

いいもの見つけた子供の頃のようなキラキラした気持ちがしました。

-----

経済は大事かもしれませんが、同じように人間の作り出せない偉大な自然の力を敬う心を忘れては、本末転倒だと感じます。

経済を優先してもよいから、
自然の力と恵みに心の底でしっかりと頭を垂れることができる敬虔な政治家さんが活躍してくれたら、世の中はそれほど悪くならないような気がします…。

かきととり
何度か他の場所で話したり、書いたりしたことだが、

昔、夢で神様からのメッセージを受け取って、
いまでも時々思い出す。

その夢で、私は広い空き地の一本道を歩いており
前の人を追い抜こうかしらと考えている。

すると突然、天から神様らしき声が響いて、

「人間の中には低い割合でカメがいる」

という。
わたしは、えっ!?人間のなかにカメが!?と驚く。

「世の中の時間はどんどん早くなるばかりだ」

と、声が続く。
わたしは、確かに。と思う。

「カメがそれを食い止めている・・・」

…。

「そうでないと、世界がすぐに終わっちゃうだろ?」

と、そんな夢。
十数年も前の夢だがおぼえている。

☆☆☆

今日は少し気持ちが焦った。

その焦りに対して、
夫のタヌキがハコミセラピーをしてくれた。

ハコミセラピーは気持ちを感じた時に
身体の中や何かに起こる反応をじっと見るという
そういうセラピーらしい。

すると、首のあたりに痛みが出てきて、
それを見ていたら、痛みのなかに、
縮こまった小さな「カメ」のイメージが出てきた。

カメは手足を甲羅の中に入れて身を固くしている。

(あっ!カメだ!)

わたしはあの夢を思い出して、
即座にメッセージを受け取った。

 あせらなくていい。

 カメでいい。

 カメだからこそ、そこに意味があるのだ

と思った。

イメージの中のカメは、身をほどき、うごきだした。

タヌキは、カメさんの言うことを聞いたらいいよと言った。


(・・・日本昔話っぽいな・・・)


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カミ、もといカメからのメッセージ再び
安田ヨウコです。 こんばんは。

今日は曇り空の多い東京でした。

私は太陽が好きです。

こんな日は少しおとなしくなってしまうのです。

特に寒くなってくるとだれでもそうなのではないかな。

と思っていたら、曇り空が好きな方もいるんですよ。

友人のやっている紅茶屋さん→「紅茶やくもりぞら」

パートナーがくもりぞらが好きなんだそうで、この店名。


☆ ☆ ☆ ☆


さて、話は変わり、前回のブログ

「やる気を失ったときはからだつかってまず作業をしてみる」

というドキュメンタリー(大げさ)の話でしたが、

この現象は科学的に名称のついているものなのだそうです。

フェイスブックのコメントで友人が教えてくれました。

心理学者のクレペリンが考えた「作業興奮」というものだそうです。

脳の中の側坐核(池谷裕二さんは淡蒼球と言っている。)が

興奮すると、やる気が出てくる。しかし、そこを刺激するには

頭で考えているだけではなく実際の動作が必要なんだそうです。

へーへーへー!

それは私の脳でも実証されました。

ありがとうございました。


☆ ☆ ☆ ☆

サイレントウェイ東京のフェイスブックページで

新企画「あなたへの質問」というのが始まりました。

問いかけをしてくるので、自分なりの答えを考える

自分の答えのわけを考えてみる。

という、遊びです。 

第一の質問は 「自分の過去は変えられるか?」

というもの。

ガテーニョ・アプローチ的にはどう解釈するのか、は、

みんなの考えが深まったあと掲載されます。

イイねボタンを押してどうぞご参加ください。


では、また。

アレクサンダーテクニーク教師 安田ヨウコ

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からだとこころを楽にするレインボーラボ






やる気を出すのには動作が必要だそうだ
「ブログの道」に迷いが生じ、長い間書かずにいました。
 
何のためにやってるのかわからなくなってしまう
 
なんてこと、みなさんありませんか。
 
そんな感じです。
 
いや、もちろん、しっかり目的をもって行動している人が
 
たくさんいるのはわかっています。
 
でも、正直に言いますと私にはそうでないこともあるのです。
 
それを踏まえて、目的のないブログを読むお時間のある方は読み進んでいただければ幸いです。
(↑この一文は後から書き加えました)
 
 
目的を失うと、それを行うためのエネルギーが減退します。
 
というのは、なんにでも言えることでしょうか?
 
自分を観察すると、答えはイエスです。
 
そうか。
 
私はなににしろ、
 
目的を失うと、それを行うためのエネルギーが減退する
 
らしい。
 
 
実際、ほんとはやりたくないことでも、
 
目的がはっきりしていればできる気がします。
 
さて、目的を失ってしまい
 
活力(エネルギー)が減退したとき、
 
どうしますか?
 
 
 
そういう時は、わたしはよく寝ます。

ねることで調子がよくなることがあります。
 
でも、次の日に起きても、やっぱりエネルギーがない。
 
その次の日も、その次の日も、、、なんてことになったら??
 
 
他には、場合によっては、何かのきっかけで
 
それまでやりたかったことすら目的を失います。
 
やりたかったって、なんで?みたいなこと。
 
やりたかったことや、目的があって活力をもってやっていたことが
 
「やらなきゃならないこと」になってしまったり。
 
 
さて、つい数分前に、発見したことですが、
 
まず書いてみたら、少しずつエネルギーが出てきたってことです。
 
目的なく、やる気がなくなってしまったとしても、
 
頭の中でぶつぶつ言っているよりは、
 
紙を出してきて、ぶつぶつを書き出してみるとか、
 
とりあえず会社行ってから考えるとか、
 
とりあえず走り出してから考えるとか、
 
とりあえず食材切り出してから考えるとか、
 
 
まあとにかく、頭だけでなく、身体をつかって
 
感覚をつかって動作を始めてみる、
 
というのはなかなかいいものだなあ。
 
という今日の発見です。
 
 
ではさらば。
 
夕焼けの時間をエンジョイしましょう。
 
(カタカナで書くとかっこ悪いな)
 
 
安田ヨウコ
活力が出ない時のこと
↓被災地からの希望の物資を宅急便などで送って支援できます
ふんばろう東日本支援プロジェクト

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ちょっと今日は最近考えていることを書いてみようと思います。

私は以前から、「共感」ということに、両極端な感覚と考えを持っていて、

A「それ、わかる~」と、いとも簡単に感覚的に「共感」したくなる一方で、

B「相手の感覚は相手にしか本当のところわからない」
という強い信念があります。

Bのことを最近考えているんです。
誰かと同じ体験というのは現実的には他人にはできないので、
誰もが人生のある時点で、誰かの死を体験したり、自分の病気を
体験したり喜びや、悲しみや何かを体験したりしますが、
「同じような」体験をすることはあっても、全く「同じ」体験はないと思うのです。

本当には、その人しか、その人の感覚は味わえない。
人間のデフォルトの感覚があるかどうかわからないけれど、
もしあったとして、その上にその人のそれまでの人生と、
周囲との関係なり経験なりが積み重なって、その人がある。

だから同じ人はいない。だから、同じ感覚を感じるというのは
他の人には厳密にはできないと思う。

でも、自分なりの体験があって、想像力が豊かであれば、
他の人が、ある時にどのように感じるかということを、「想像」したり、
「共感」したりすることはできると思う。

「相手の本当の事はわからないのだ。」ということは、
すごーく当たり前なことだけど。私にとってこれはとっても大事な
こと。人生の教訓です。

その割に、迂闊に「わかるわかるー」なんて、よく言っていますが、
わかる部分もあるんですよね。それは嘘ではない。

それに、わかってほしいなーと思うこともあるんです。
お互い共感できたら、なんだかとてもうれしくなる。
悲しい時は少しだけ辛さが軽くなるような気がする。

これも当たり前。

震災地の方の気持ちは私には計り知れない。
それがとても悲しいと思う。
それで、一体自分がどうしたらいいのかがよくわからなくなるんですね。

でも、前にブログにも書いたけど、たとえば、世界や日本という
共同体の中の、自分は一つの細胞だと考えてみようと時々思います。

元気な細胞が、元気のない細胞のところへ移動することができなくても、
元気な細胞として、生命活動を一生懸命にしていたら、
共同体全体のためになるのではないだろうか。

地球全体の一部として私が生きていると思ったら、自分の役割を見定められるのではないだろうか。

元気のない細胞とずっとつながっているということをわかっていたい。
それでも自分は自分の役目として一生懸命に元気に生きていたい。

書いているうちに、自分が実は心からの共感が不得意で、
その言い訳をしているのかな?なんて思えてきました。

「わかる」ということを迂闊に言えないなということが言いたいんだけどネ・・・


あ!!、わかった!!!(言ってる傍からワハハハ)

わかる~というのと、共感はちがうんだな。たぶん。

共感というのは、わからなくていいのかもしれないな。

「共感というのは、相手が単にその人としてそうなのである。」
ということを受け止めるってことなんだな。

受け止めることまでが大事。
その後、わかったり、何とかしたりする手前までが肝心かもしれない。

そういうことができるようになりたいな。と思う。

ちょっと書いて出かけようと思っていたら、
長い時間かかってしまったナ。

共感するけど、ほんとはわからない?