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プロフィール

HN:
安田ヨウコ
性別:
非公開
職業:
アレクサンダー・テクニーク教師
趣味:
アレクサンダー・テクニーク
自己紹介:
レインボーラボの安田ヨウコです。
アレクサンダー・テクニークのレッスンや、バッチフラワーのセッションなどを通じて、セルフプライマリーケアを提案しています。

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こんにちは。ほら、そこ、いつもあなたの後ろに立っている安田ヨウコです。
いえいえ、冗談ですよ。怖かったですか。ふっふっふ。

さて、今日は猫の話。
ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、レインボーラボには猫が二匹いますよ!
オスの「ミロン」とメスの「キノコ」。生後二か月くらいの捨て猫兄妹をもらってきて今5歳。

今日はキノコのこと。
 
キノコは女子っぽい。「あたちーっ!」という感じ。
子猫の頃、虚弱体質で鼻炎で、顔は猫というよりサルのようだった。
それがほっそりしたお嬢さんになり、4歳の今は3Dトトロのようにまるまる太っている。
階段を下りるとき、ポッテンポッテンポッテンポッテンという妙な音がする。
座ったガチョウ(アヒルより大きい)の如くたっぷりした胴体に、細く短い手足。
人が寝ていると、布団の上を縦横無尽に歩いてくる。ピンヒールで踏まれたような衝撃で思わず「っうっ!」と声がでる。
重い体にピンヒールの女子。それがキノコ。

基本的にツンツンした態度、人に要求する。ご飯がない、ご飯を手に乗せて食べさせろ、トイレが汚れている、撫でろ、そこじゃない、ここも撫でろ、階段の二番目に来い、ここで撫でろ、ボールを投げろ(投げるととってくる)、ボールを投げろ、ボールを投げろ、、、
様々な声色と目と態度で命令する。

時々、手のひらを返したように、けれども控えめに、そしてまたときに大胆に甘えてくる。その絶妙な駆け引きで、周囲を骨抜きにする魔性の女。

キノコの神経質は小さなころから気づいていた。
食べ物、場所、環境など、気に食わないことが多々ある。
猫は大体そういうものだろうが、例えば、どこかでまったりくつろいでいたとしても、ほんの小さな音や気配が気が食わないと、「ちっ」とは言わないまでも、プイッとして、トトトトトトと走っていってしまう。

抱っこされるのも嫌い。気持ちよく撫でられていたと思ったら、
すぐに落ち着かなくなり、撫でられたところを舐めて人のにおいを消す。

そんなキノコだが、一方、私と目が合うだけでコロコロコロとのどを鳴らす。
私が家の中を移動しながら仕事をしていると、大抵ついてきてじっとみている。
私がお風呂から出てくると、洗面所の外でスフィンクスのようになって待っていてくれる。

ということは、私にけっこう好意をもってくれているかもしれない。
抱っこされるといやだから離れて見ているのだろうか。

ときどき、手のひら返しで甘えるときは、人にしなだれかかり頭をもたれ、腕で人をハグする。
ぷよぷよのとろけそうな体でフィットして一心同体な感じがする。

あるとき、読書している私の股の間に来て、キノコは丸くなり安心し、ぴったりとからだをフィットさせてすやすや眠っていた。

はっっっ!emoji

と、私は感じた。

キノコはもしかしたら私が産むはずだった娘なのではないかっ?!
今回、子供を産まない人生になったので、彼女は仕方なく猫になってこうして股の間にいるのではないか!?私のおなかにいたことを懐かしがっているのではないか!?

と、自分勝手な倒錯した妄想をしたりした。
ミロンにはそういうことは思わないのが不思議。

そんなキノコであります。(猫の話は長くなるな・・・・)

で、私はキノコのことをもちろん大好きなのだが、
「ったく、神経質な奴だな」と単純に思っていた。

でも、どうやら神経質だけれど、好奇心と勇気はある。
いちいち小さなことを気にするけれど、臆病ではない。

よく考えると、キノコはいつもすごく正直だということに気づいた。
もちろん、動物はみんな正直なのだけれど、
神経質であることにもそんなにも正直なんだなと感心したのである。

私も実は、小さなことが気になったりする神経質なところがある。
あるいは、過去あった。
それはもしかして、私もキノコのようにずいぶん小さなころ病気をしたりで弱々しかったからかもしれない。
でも、小さな頃にそれに気づいて、これでは生きていくのが大変だから、気にしないようにしようと自分を訓練した。

それは訓練と呼んでいいものだと思う。
何かちょっとした悪い予感、怖いこと、気に入らないことなどを、気にしない訓練。
電柱の横に足を踏み出すと不吉な気がするが、そうではないからあえて踏み出す!とか、
時々食べ物が異質なものに感じるけれど、気持ち悪くないと思って口に入れて呑み込む!とか、
忘れてしまったけれど、例えばお化けが怖いとかそういうこと。

お化けや迷信ぽいことなら、気のせいですませられる。
でも、もし現実の自分の周りの人達が怖いと思ったらどうだろう?
著しく生活が困難になってしまうよね。
(そういうことを考えると、避難所での生活などは人によって本当に大変だろうと想像する。)

そもそも怖いとか、嫌な感じがする、というのは身を守るために大事な感覚のはず。
でも、外の世界がまるまる全部怖かったら困る。
だから、日々の生活をサバイバルするために「そうでもないよ」と自分で思うようになる。
耐性がつくというのかな。

でも、合理的なようで、それがほんとによかったんだろうか?

神経質であるということは、見えない障害物の中で
生きているようなもので、苦しいことでもあるかもしれない。
それほど小さなことを気にしないで、おおらかにニコニコしていたほうが幸せだとわかっているけれど、

最近、キノコをみていてと、気に食わないことを気に食わないと思うことは
なんだかとても一生懸命で、真摯に見えてしまうのである。
そして、それがキノコのキノコたる表現なのだなと思う。
ごまかしがないというか・・・。

私はこれでも気にしないほうの人になったと思うのだが、
(それは程度問題なので夫なんかは私が神経質だと思っていると思う)
(それに神経質な人は、他の面でとても無神経だということも知ってる)

気にしない訓練のせいなのか、何が自分の好みなのかが
わからなくなって困惑することがある。
どれだってなんだって結局は同じなんだとあきらめのような気持ちになったり、
ほんとに自分が望むことがなんだかわからなくなる。

同時に、実は私は怖がりなんだなってことを理解しつつある。
物音や肌さわりや色や、そういう微妙なことによって「おっ」と思う。
そうなると、会話や、人付き合いなんかはとてつもない強い刺激である。
大人だし訓練を積んでいるので大丈夫なんだけれど、ほんとうはそうだと思う。

キノコに倣って、小さな気に食わなさをキャッチしながら
それを自分らしく生きてみたらどんな自分になるのだろう?
と妄想する。


<終わり>
おんなにゃんこ先生

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