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プロフィール

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安田ヨウコ
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非公開
職業:
アレクサンダー・テクニーク教師
趣味:
アレクサンダー・テクニーク
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レインボーラボの安田ヨウコです。
アレクサンダー・テクニークのレッスンや、バッチフラワーのセッションなどを通じて、セルフプライマリーケアを提案しています。

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お久しぶりです。
からだとこころを楽にするレインボーラボ アレクサンダーテクニーク教師の安田ヨウコです。

いろいろあって、今少し時間ができました。
その話はいつかできたらいいなと思います。

さて、ブログ再開するとなったらいつも唐突ですが、

私の最近のノートってこんな感じです。

キノコのおなかが写り込んでおります(汗)
恥ずかしいからぼやかしたつもりが、読めちゃいますね。内容は大したことではないです。
インフルエンザに久しぶりにかかって気づいたことを書き留めました。
(腸腰筋が書けないことがばれてしまいました。)


で、みなさん、マインドマップってご存知でしょうか。
マインドマップって、真ん中にテーマを描いて、そこから連想することとか、関連することを一語ずつ枝を伸ばすように書いていくものなのです。
私のノート、ちょっとマインドマップぽいんですね。


で、昨日、久しぶりの何も予定のないぽっかりした時間をゲットしたので(期限前投票してきたので)ずっと書いてみたかった本格的?マインドマップを書いてみました。


実は1週間ほど前にマインドマップの本を衝動買いしていました。

すごく忙しかったんです。この数ヵ月。
時間があれば、何か先送りにしてたことを、役に立つことをやらにゃな?と思っていましたし、
できなかったことを悔やんだり、ボケッとしていた時間に罪悪感をかんじたり。

それで、仕事以外で何か自分のやりたいことをやろうと思いました。
めくりとったカレンダーの裏側を使っていくつかマインドマップを書いてみました。なかなか、すいすい書けないし、いまいち盛り上がらないなぁと思っていたところ、

一つ、面白い発見がありました。

真ん中にTimeと書いて、「時間」をテーマに、作っていたときです。
いまひとつ、ピンとこないまま、だらだら書いていて、飽きちゃったなと思ったころ、グレーの枝を書き足すと心の中に「Pressure」というワードがでてきました。


そのグレー枝はテーマの「Time」に爪を立てて食い込み、枝の先は角が二つ生えた怖い怪物のような絵になりました。こ、怖い!

「そうね、時間のプレッシャーって怖いわね」と思い、その怪物の目を赤く塗り、口を大きく裂いて、赤い舌を書き込みました。そして怪物の顔をまじまじと見ていたらゾクゾクっとして、
自分で書いておきながら怖くなってきました。

横にいたタヌキ(夫)に「ほら、怖くなってきたよ」というと、
「ほんとだ怖い!笑顔に書き直したら?」というんですね、(何を簡単に言うか)と思いましたが、


怪物を眺めていて、「あ!」とひらめいて、

小さな青い人が枝をのこぎりで切っている絵を書き添えました。

(でも、木を切るなんて野蛮だな)と思いながら。

そして、切った切り株に緑のひこばえを書き添えました。

(そうか。切り株は生きているのか)

切り株の下に食い込む長い爪は、茶色のペンで細かい根っこをはやしました。

(そうね、根っこも食い込むものね)

切り株から切り離された怪物の方は、間抜けな顔の風船になりました。

(なんかかわいいわね)

そのあとどうなるのかな?と思ったら、風船は縮んで茶色の塊になりました。

(土なのか。これは。土は眠っているのか)

その土から出る芽を書き添えました。

もし、時間のプレッシャーが、間抜け顔の抜け殻になったなら?

(私はこの上に、座ってみたい!)と思いました。


絵なんだから赤いドレスでも着てみるかと、座ってる自分を書き添えました。

(足をぶらぶらして、シャボン玉をしよう!)

シャボン玉を書き添えました。

ということで、こんな絵になりました。



少し、マインドマップの面白さを知ったような気がしています。
おかげさまで今日はサクサク仕事ができ、
こうしてブログもかきました。

シャボン玉に映るレインボーを想像しつつ。

安田ヨウコ

からだとこころを楽にするレインボーラボ
http://www.rainbowlabo.com/

マインドマップをやってみた
こんにちは。ほら、そこ、いつもあなたの後ろに立っている安田ヨウコです。
いえいえ、冗談ですよ。怖かったですか。ふっふっふ。

さて、今日は猫の話。
ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、レインボーラボには猫が二匹いますよ!
オスの「ミロン」とメスの「キノコ」。生後二か月くらいの捨て猫兄妹をもらってきて今5歳。

今日はキノコのこと。
 
キノコは女子っぽい。「あたちーっ!」という感じ。
子猫の頃、虚弱体質で鼻炎で、顔は猫というよりサルのようだった。
それがほっそりしたお嬢さんになり、4歳の今は3Dトトロのようにまるまる太っている。
階段を下りるとき、ポッテンポッテンポッテンポッテンという妙な音がする。
座ったガチョウ(アヒルより大きい)の如くたっぷりした胴体に、細く短い手足。
人が寝ていると、布団の上を縦横無尽に歩いてくる。ピンヒールで踏まれたような衝撃で思わず「っうっ!」と声がでる。
重い体にピンヒールの女子。それがキノコ。

基本的にツンツンした態度、人に要求する。ご飯がない、ご飯を手に乗せて食べさせろ、トイレが汚れている、撫でろ、そこじゃない、ここも撫でろ、階段の二番目に来い、ここで撫でろ、ボールを投げろ(投げるととってくる)、ボールを投げろ、ボールを投げろ、、、
様々な声色と目と態度で命令する。

時々、手のひらを返したように、けれども控えめに、そしてまたときに大胆に甘えてくる。その絶妙な駆け引きで、周囲を骨抜きにする魔性の女。

キノコの神経質は小さなころから気づいていた。
食べ物、場所、環境など、気に食わないことが多々ある。
猫は大体そういうものだろうが、例えば、どこかでまったりくつろいでいたとしても、ほんの小さな音や気配が気が食わないと、「ちっ」とは言わないまでも、プイッとして、トトトトトトと走っていってしまう。

抱っこされるのも嫌い。気持ちよく撫でられていたと思ったら、
すぐに落ち着かなくなり、撫でられたところを舐めて人のにおいを消す。

そんなキノコだが、一方、私と目が合うだけでコロコロコロとのどを鳴らす。
私が家の中を移動しながら仕事をしていると、大抵ついてきてじっとみている。
私がお風呂から出てくると、洗面所の外でスフィンクスのようになって待っていてくれる。

ということは、私にけっこう好意をもってくれているかもしれない。
抱っこされるといやだから離れて見ているのだろうか。

ときどき、手のひら返しで甘えるときは、人にしなだれかかり頭をもたれ、腕で人をハグする。
ぷよぷよのとろけそうな体でフィットして一心同体な感じがする。

あるとき、読書している私の股の間に来て、キノコは丸くなり安心し、ぴったりとからだをフィットさせてすやすや眠っていた。

はっっっ!emoji

と、私は感じた。

キノコはもしかしたら私が産むはずだった娘なのではないかっ?!
今回、子供を産まない人生になったので、彼女は仕方なく猫になってこうして股の間にいるのではないか!?私のおなかにいたことを懐かしがっているのではないか!?

と、自分勝手な倒錯した妄想をしたりした。
ミロンにはそういうことは思わないのが不思議。

そんなキノコであります。(猫の話は長くなるな・・・・)

で、私はキノコのことをもちろん大好きなのだが、
「ったく、神経質な奴だな」と単純に思っていた。

でも、どうやら神経質だけれど、好奇心と勇気はある。
いちいち小さなことを気にするけれど、臆病ではない。

よく考えると、キノコはいつもすごく正直だということに気づいた。
もちろん、動物はみんな正直なのだけれど、
神経質であることにもそんなにも正直なんだなと感心したのである。

私も実は、小さなことが気になったりする神経質なところがある。
あるいは、過去あった。
それはもしかして、私もキノコのようにずいぶん小さなころ病気をしたりで弱々しかったからかもしれない。
でも、小さな頃にそれに気づいて、これでは生きていくのが大変だから、気にしないようにしようと自分を訓練した。

それは訓練と呼んでいいものだと思う。
何かちょっとした悪い予感、怖いこと、気に入らないことなどを、気にしない訓練。
電柱の横に足を踏み出すと不吉な気がするが、そうではないからあえて踏み出す!とか、
時々食べ物が異質なものに感じるけれど、気持ち悪くないと思って口に入れて呑み込む!とか、
忘れてしまったけれど、例えばお化けが怖いとかそういうこと。

お化けや迷信ぽいことなら、気のせいですませられる。
でも、もし現実の自分の周りの人達が怖いと思ったらどうだろう?
著しく生活が困難になってしまうよね。
(そういうことを考えると、避難所での生活などは人によって本当に大変だろうと想像する。)

そもそも怖いとか、嫌な感じがする、というのは身を守るために大事な感覚のはず。
でも、外の世界がまるまる全部怖かったら困る。
だから、日々の生活をサバイバルするために「そうでもないよ」と自分で思うようになる。
耐性がつくというのかな。

でも、合理的なようで、それがほんとによかったんだろうか?

神経質であるということは、見えない障害物の中で
生きているようなもので、苦しいことでもあるかもしれない。
それほど小さなことを気にしないで、おおらかにニコニコしていたほうが幸せだとわかっているけれど、

最近、キノコをみていてと、気に食わないことを気に食わないと思うことは
なんだかとても一生懸命で、真摯に見えてしまうのである。
そして、それがキノコのキノコたる表現なのだなと思う。
ごまかしがないというか・・・。

私はこれでも気にしないほうの人になったと思うのだが、
(それは程度問題なので夫なんかは私が神経質だと思っていると思う)
(それに神経質な人は、他の面でとても無神経だということも知ってる)

気にしない訓練のせいなのか、何が自分の好みなのかが
わからなくなって困惑することがある。
どれだってなんだって結局は同じなんだとあきらめのような気持ちになったり、
ほんとに自分が望むことがなんだかわからなくなる。

同時に、実は私は怖がりなんだなってことを理解しつつある。
物音や肌さわりや色や、そういう微妙なことによって「おっ」と思う。
そうなると、会話や、人付き合いなんかはとてつもない強い刺激である。
大人だし訓練を積んでいるので大丈夫なんだけれど、ほんとうはそうだと思う。

キノコに倣って、小さな気に食わなさをキャッチしながら
それを自分らしく生きてみたらどんな自分になるのだろう?
と妄想する。


<終わり>
おんなにゃんこ先生

こんにちは。安田ヨウコです。

今日は考えを一つ吐露するよ。(笑)

正直に言えば、


「わたしは毎日をどのように過ごすかを、ほんとうなら突き詰めたい。」


と思っている。


だが、この一文に書いた思いは、我ながら疑問がたくさんつまった「なんだかはてな?」なことなのだ!!!!


「突き詰めたい」っていうけど、毎日毎日そんなことしてられるかーーーーーーっ!?と思う。


でも、毎日は今日の積み重ねなのだから、気が遠くなるほどの沢山ではなくて、いつも今日のことだけでいいはずだ。


では、何年間も毎日毎日なにかを続けることができる人のことを、なぜ私はすごいなぁーと思うんだろう?


なんで自分はそれができないんだろう? 


いや、私だって毎日毎日していることもある。でも、そのことは、突き詰めてやっているか?というとそうではない。
そうか。きっと「どのように過ごすか」のところを、やった「こと」に分解してしまうとわからなくなるのかもしれない。(過ごすというのは、やった「こと」の総計ではないような気がする。空間をダークマターが埋めているように、過ごすということもやったことの他の何かで埋まっているのではないだろうか。)


「突き詰めたい」って、ぽろっとでたけれど、

じゃあ「突き詰めたいのかおまえはっ?!」
と詰め寄られたら、「いや~、どうかな?そうでもないかな?」なんて思う。

突き詰める」の字を見ていると、出口なしの心太突きという感じがする。
だが、言わんとしていることは、「心太をいちいちスルっと突きたい」ということだ。
力はそんなにいらない。
ううむ、
「ほんとうは突き詰めたい」の部分がだんだん疑わしくなってきてしまった。

書いていて思うに、たぶん、平たく言えば、
「突き詰めたい」は吟味して納得していたいということかもしれない。


「そう。」っていう感じ。


しかし、当たり前だが、日々は、
「そうか?」や、「いや?」や、「ちがう!」や、「・・・・・」など、
そんなことに溢れているのだから、なにをもって「吟味して納得」なのか怪しい。


今日を、どのようにだって過ごせばいいし、なにも考えなくても、過ごしちゃってるし。


はは~ん、
もしかしてこれは「ほんとうはこうしたかった病」なのかもしれない。

そして、ほんとうは、私は

「ほんとうにこうなのだ!」


と言って、胸を張って生きたいのではないのかな?!?な?な?

だったら、そうすればいいじゃないか。

(そんなに、ほんとうでない日々を送っているのか?オレは????)


<終わり>

ほんとうにこうなのだ!!と言いたい

からだとこころを楽にするレインボーラボの安田ヨウコです。
久しぶりのブログになります。
今回(断続的に書きたくなる私)の連載で書くことは、
日々の暮らしで興味を引いた小さなお話です。
徒然なるままに書きます。

さて、
実は昨年、私は年女でした!(^^)/ 二月生まれの羊年!
羊年だから羊が大好きか!?っていうと、そうでもありません。
なので、ずっと羊のものを身に着けたことなどないし、仮にあったとしても覚えていないってほどの、羊スルーな私でした。

ですが、年女ですよ!12年に一度ですよ!?
これは何か記念すべき何かを!!!!と思うではないですか?
私はあまり、時間の感覚がない人なので、そんなことを考えるのはかなり賢いことです。

ちょうどお財布がくたくたになっていました。
何年か前に家族から誕生日プレゼントにもらったものです。
それで、昨年のお誕生日に自分へのプレゼントとして

羊の模様のお財布をゲットしよう!!!

ってことになったわけです。

いやー、探しましたね。かなり探しましたよ。
これとか、かっこいいでしょ?


正倉院の宝物の一つ「羊木臈纈屏風」といいます。
この柄を使ったお財布が、「遊中川」というショップにありました。
2015年の干支の羊とラッキーアイテムを組み合わせたテキスタイルを使った
布のお財布でした。
柄はとってもよかったので、お店でこの柄の長財布を手に取ってみると、どことなく今一つ弱弱しい感じが・・・。どちらかといえばお出かけ向きか??ヘビーユーザーにはどうかなぁ。
ということで、見送りました。

「 羊、財布」で調べると、割とヒットする。
でも、でも、でも、うーん、なにか心にピピっとこないのよね。
やはりあのかっこいい柄の財布を!と見たら、もう売り切れていた。
気に入るお財布はないのかもしれないわね。。。。ふぅ

と、半ばあきらめた昨年3月、

新聞を整理していて、ふと
「開運 羊柄印伝長財布 開運梵字水晶根付つき」
という文字が目に飛び込んできたのです。
なんとも怪しい、怪しすぎる、でも写真を見ると柄は結構かわいい。

いやいやいや、新聞の下のほうに載ってる怪しい通販商品って、
いったい誰が買うのよ?といつも思っていたわけです。
私も、あなたと同じように。

トレインショッピングなら買うかもしれないけれど、
新聞の下の怪しいやつ、買わないでしょう・・・。

で、インターネットで販売元を検索してみると、
そのお財布が出ていましてね、
羊柄は、他でこういうのがあったらな、と思っていた、かわいい系のいい羊柄なんです。

色はね~、黄色と黒がありまして、
鹿革のなめした印伝。印伝の柄は職人さんが漆で描いている。
モノが良さそうだ。そして、お値段が高い!

一般的にはそうでもないのかもしれませんが、
ブランド物のバッグなどに全く縁がなく興味もない私の尺度では
よっぽど気に食わなければ却下のお値段。。。

うーん、うーん、
そのページを何日も繰り返し見て、悩んだ末に、

これは自分へのプレゼント。
しかも年女の年の特別のプレゼント。

なんだから、もういつもはしないようなことだけど、
思い切ってバシッと買っちゃいましょう!
と決心して、
色は、、、、普通なら黒だけど、特別だし縁起がいいから黄色!!

と、ポチしてさくっと買いました。

さて、商品が届きました。

まず、正直がっかりしたのです。

さすが通販商品、というような、ありがちな、ぺなぺな感は否めなかったし、
色もペンキで塗ったような黄色で、まあ、写真その通りの商品だったのだけれど、
(オレの目は節穴かーっ!?)
自分ではまだ夢を見ていたい気持ちで、これを私は特別に選んだのだからと、
さっそく皮保護スプレーをして、大事にしよう!と使い始めました。

せめて、使いやすかったらよかったんですけどね・・・(遠い目)
いや、一旦別の袋に入れないとカバンで広がってしまうくらいのぺなぺな具合だったし、
お財布を使うたびにそれを人前に出すのが苦痛だったんですよ。

そうですね、1か月くらいでしょうか。
結局、私はそのお財布をあきらめて、
羊柄ではないけれども、自分のほんとうに気に入るお財布をゲットしました。
お財布に関するストレスがゼロになるのを感じました。

そして羊柄のものとして、羊木臈纈屏風の柄のポーチを手に入れました。
このポーチはよく使っていて、使うたびにうれしい。


今、すごく、恥ずかしい話を書いているな~と思っているのだけど、
なぜか、私はこのことを覚えておきたいので、
構わず書きますよ。

で、
で、ですね、

私は何をしていたんだろう?と考えたわけです。

なんでこんなアホなことをしてしまったんだろう。
特別な年の自分への誕生日のプレゼントなのに・・・って。

まあ、自分が単にあほなことをした。(まる)
で、終わることでもあるんだけど、
そこは私の性分で何とか転用したいわけです。
この失敗を(笑)

で、ある時ピーン!と浮かびました。

そうか!って。

一つは、
私はお財布を選ぶときから、頭の中に疑問符があった。
いい、なんて思っていなかった。
でも、かっこいい羊柄を逃しちゃったとか、
他に見ても気に入る羊柄はなかったとか、
偏った過去のデータに影響されてしまって、
そのことに気づかず、なぜだか「これしかないっ」て思いこんじゃった。
こういうことって、きっとあるものなんだなって。気づいた。

もう一つは、
私は何か自分にぴったりの素敵なものに出会えるかもしれないと期待して、
わくわくしてたくさんお金を払った。
これしかないって思いこんだことで、ますます期待は膨らみ、
そして、結果として、そうではなかった時の大きな落胆を身に染みて味わった。

(今書いていると、そんなことで落胆か?と思うんだけど、
でも、その時はそれはそれは落ち込んだんですね。
とっても、不思議なんだけど。(^^)

この落胆、すごく具体的な感覚だったので役にたった。

「私は、このような思いを人にさせる仕事はしないぞ。」

と心底思いましたよ。
それは、それは、つよーく思ったのです。

私の仕事なんて、物を売るのではないし、
全然違ったことなのだけれど、
そのことは、なんというか、肝に銘じました。

で、その羊の黄色のお財布は捨ててしまわなかった。
今、部屋の神棚に一緒に飾っています。
いろいろ教えてもらった先生でもあるから。

おわり
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がっかりの効用、あるいは転用
☆彡10月13日にGYREセラピースクールのイベント@自由が丘に出ます!
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


こんにちは。からだとこころを楽にするレインボーラボ、アレクサンダーテクニーク教師の安田ヨウコです。

先日Huluで、ジュリア・ロバーツ主演の「食べて祈って恋をして」という映画をみました。

なんと言うことはないタイトル通りの淡々とした気持ちのよい映画でしたが、
話の中にちょこっとでてくるバリのお爺さんが「微笑みの瞑想」というのを主人公の女性に教えていました。
私の記憶では

「顔が微笑んで、心の中も微笑んで、肝臓も微笑む」

というもの。
それがストーリー上のものなのか、実在の瞑想法なのかどうかはさておき、
簡単そうで気持ちがよさそうだったので、やってみたところ、、、

おや??

これ意外に難しい!?

ぜんぜん微笑めていない!??

微笑むことに抵抗を感じる!

抵抗を感じる微笑みなんてイヤイヤ!

何?
わたし、そんなに腹に一物溜めてるの??

と、ビックリしたわけです。笑


実は瞑想のこと、詳しくありません。
でも、わりとしてます。だから瞑想することの抵抗ではない。

微笑む瞑想って、素敵なものっぽいのに、
どうしてわたしにはこんなに難しいのかな?

機嫌が悪いわけでもなく、元気だし、心配事がゼロと言うわけではないけど、
生きてるというだけでもかなりハッピーだと思っているのにな。

???

ふだん瞑想する場合は、特になにもしないで微笑んでもいないから、
あえて微笑む、ということに、違和感があるのかな。

通常の私の顔、どんなのだろう?
自分の顔は見えないからな。
たしかにいつも微笑んではいないよな。わたし。
どちらかと言うと面白い顔か、怖い顔が多い。
もしや、これが敗因か?

しかも、わたしの固定観念の中の「微笑み」のいうのは、
自然に起こるもの。なにもしないでこころが平和になったり
喜びを感じると、自然にふわっと起こるものだったので、
ことさら微笑みから始まるというのも不自然な気が・・・。

なんだかわからないけど、
その違和感や不自然さ、そして、
自分が微笑みへの抵抗を感じていることが、面白くなり、
何か新しいことに出会ったように興味をそそられて、

それから毎晩、すこしずつ観察を続けてみましたよ。


すると、

微笑む時にある抵抗は、
私の中のほんの小さな、ちょっとしたイジイジとか、
イライラとか、傷つき、のようなものらしく、
微笑もうとしなければ見逃してしまうほどの微妙なエネルギーの塊だと気づきました。

右を見て、左を見たらなくなってしまうような、
一晩寝たら忘れてしまうような、
そんな、意識にも登らないほどの小さなエネルギー。

ほーほーほー!

そうなの~、わたしってそんなの持ってたの~…

と、認めたら、
砂糖のようにとけてしまう他愛ない日々の些末な感情。

ほーほーほー!

世の中には、難しいこと、気になること、大きな問題がたくさんあります。
家族や自分のことにしても、たくさんある。
そして、わたしは大きな問題ばかり見ていたなと気づきました。

その一方で、
自分には、こんなに小さなこともあるんだな、と気づきました。

この小さなのに気づいたのは、
それが微笑みを作るエネルギーと合わない質のエネルギーだからなのではないかな。

この瞑想では、この小さなものをみつける試金石としての微笑みだったのだなと、納得したわけです。

いやー、微笑み、深いな~( ´∀`)

(素直に微笑めるひとはまったくそうならないのかもしれないけど・・・)

塵も積もれば・・・というように、
自分の小さな心の引っ掛かりを知って、
そんな小さな自分を「そうなのね~」と、認める機会となって
「微笑めない瞑想」もなかなかよいなと感じました。

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余談ですが、

カレブ・ガテーニョ先生は、
"Let the problem educate you."
"問題をして教育せしめよ"
といい、

また、problem:問題、というのは、その人の中にエネルギーの塊として存在し、
人は問題を抱いている間ずっとそのエネルギーを保ちつづけ、
問題が解けるとき、そのエネルギーの塊も解放されて

「あ~!」

とか、

「そっか~!」

とか、

そしてまた、
問題のエネルギーが大きいときは、

「ユリイカ!!」と叫びながら裸で町を走り回る

というふうに、その状態が表現されるということです。


☆…☆…☆…☆
  お知らせ
 
「ダンス編!知って、実験!アレクサンダーテクニーク!」
バレエダンサーでピラティスやジャイロもこなすアレクサンダーテクニーク教師、河口志保さんと、フラメンコの大木亜紗子さんとお送りする、三つのワークショップ

11/29(土)18:00~21:00
「子どもバレエのためのアレクサンダーテクニーク」

11/30(日)12:00~15:00
「ダンスを習う大人のためのアレクサンダーテクニーク」

11/30(日)18:00~21:00
「ダンスやボディワークを教える人のためのアレクサンダーテクニーク」

会場:志保バレエボディコンディショニングスタジオ
 (田園都市線 鷺沼徒歩3分)

「GYREフラワーレメディワークショップ」

新セッション「名もなきセッション」! 好評です!

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微笑めない私の発見