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プロフィール

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安田ヨウコ
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非公開
職業:
アレクサンダー・テクニーク教師
趣味:
アレクサンダー・テクニーク
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レインボーラボの安田ヨウコです。
アレクサンダー・テクニークのレッスンや、バッチフラワーのセッションなどを通じて、セルフプライマリーケアを提案しています。

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ブログは久しぶり!レインボーラボの安田ヨウコです。(現在、元気に病気療養中!そのことはまた書きます)

先週、2018年2月19日、サイレントウェイの師匠のアラード房子さんが他界されました。


不思議と悲しみに暮れることにはなっておらず、今、ふさこさんの魂と一緒にいるような気持ちでいるのです。私が人生で最も大きな影響を受けた方。誰にも「先生」と呼ばせなかったふさこさんですが、私は長い間「先生」と呼んでしつこがられました。(ここ数年はふさこさんと呼ばせていただいていました。)

思い出の一つ一つに深い意味があったことを今はゆっくりハートで受け取っていこうと思っています。

サイレントウェイとその理論であるガテーニョ・アプローチのことを書くのは大変!
だからほとんど書いたことがないのです。
(アレクサンダーテクニークのことも大変!だけどまだこちらのほうが書いている。)

今、ちょっと大きな病気を経験して、私がガテーニョを学んでいなかったらたぶん生きていないんじゃないかと思うほど、ふさこさんと出会い、サイレントウェイとその理論を学んできたことが私の生の支えになっていると実感しています。


サイレントウェイとガテーニョに本格的に興味を持ったのは、1993年頃にふさこさんの日本語教師養成講座を受けてから。その時のことを、2011年にカレブ・ガテーニョ博士の生誕百周年の記念誌に掲載してもらいました。掲載は英語だったので(英語版のリンク)、日本語バージョンをここにアップします。

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私がサイレントウェイやガテーニョ・アプローチを知った頃、既にガテーニョ博士は亡くなっていた。私はアラード房子氏や、ロズリン・ヤング博士から、「ガテーニョ先生はこう言った」という話を聞きながら学び、博士の面影を想像するしかないのであるが、博士の関わってきた人たちと出会うたびに、博士の残してくれた人間の教育は今も伝わっていると感じる。

 私がはじめてサイレントウェイという言葉を知ったのは、20代半ば、1993年ごろだった。当時、日本でサイレントウェイの普及と教育の中心にあったThe Center(語学文化協会)のアラード房子氏が東京で日本語教師養成講座を開催した折に、この講座を受講した。その何日間かのワークショップで、私の人生の方向がはっきりと変わっていったのだということが今よくわかる。

アラード氏のワークショップで話題となることは、どれも人間に関わる大きな「問い」であり、すぐに飛びつけるような安易な答えはなかった。それは日本語教師養成講座であるのに、内容は日本語教育をはるかに超えて興味深く、わくわくするものだった。「学ぶとはどういうことか。私は何でできているか。何をどのように学んできたか。」等、こういうことこそ、知りたかったと気づいた。アラード氏は「世界は未知にあふれている。知っていることはほんの少しだ。ガテーニョは未知を既知におとしめるなと言った。」とおっしゃった。ガテーニョ博士の理論は謎であり衝撃でもあった。たとえば「眠りの中でどんな仕事をしたか。」という質問によって、人生の約1/3を占める眠りがどれほど大切であるかに目を開かされた。寝てばかりいる赤ん坊と自分に必要な眠りは同じシステムの延長上にあるのに気付いた。

 人間の捉え方が徐々にすっかり変わっていった。それが言語の学習とどんな関係があるのかは分からないまま、よく言うところの「マッチを探していて火山に当たったような」体験だった。
「学ぶ」ということは人間の「存在」に関わるものだということを学んだのだ。

 私は大学を卒業するまで勉強は卒なくこなしてきたと思う。しかし、ガテーニョ・アプローチを学び始めたら、辻褄合わせのような勉強がハリボテのように思えてきた。

 その後、理論を実際に体験するにはサイレントウェイの語学のクラスを受けることが一番というアドヴァイスを受けてJohn Beary氏による英語のワークショップを受けた。教師がほんとうにサイレントであること、そして、周りの人たちや自分が、チャートによっていつの間にか自然に英語らしい音を発するようになっていく過程に驚愕した。普段の「思考」が部分的で小さな能力であることを実感したと同時に、自分に備わっている「気づく」という偉大な力に感服した。頭で考える以外にもたくさんの機能を自分=人間が持ち、利用できるのだということが実感できた。このような学びが起こるのは、言語という限られたスキルにおいてのみでなく、生徒のあり方全体に教師が関わっているからなのだということも感じられた。 

そのワークショップでの忘れえぬ出来事。私は前置詞の”at”を含むべき文章を述べていたが、どうしても”at”という言葉が出て来なかった。自分の発している文章と並んでいるロッズだけの世界で、見たものを一つ一つ言葉にしていった。先生はロッズの端のところを力強く指さして私を促したが、ロッズの端を見て”the end”という言葉しか浮かばなかった。しかし、先生はますます力強くロッズの端を指さして私を促す。お手上げになってロッズの端と先生の指先の間の空間を見つめていた。すると、そこに”at”という言葉が目に見えるように浮かんだ。

 この体験で、それまで私の中にあった偏見「英語の前置詞はどこで使うかルールを暗記するもの」が、崩れ去り、言葉というのは一つ一つほんとうの意味があるのだ。という誠に当然なことを知ることになった。このことは、その後の語学学習や、日本語を教える時にも大きく影響を与え続けている。

 このころからワークショップにできるだけ参加するようになった。個人的な人生にはさまざまな問題もあったが、ガテーニョ・アプローチがどれだけ助けになったか分からない。アラード氏が日本に呼んだロズリン・ヤング博士と学ぶ5年間は大きなプロセスだった。ヤング博士によって、私たちはガテーニョの理論を頭の中だけでなく、自分全体で使うことを学んだ。「赤ん坊の時のことなど覚えていないし、実感がわかない」とヤング博士に言ったことがある。しかし、学び続けて行くうちに自分が「赤ん坊の宇宙」の延長上にいるということを、新たに確かに実感できるようになった。

未知の道具、すなわち「自分を観察する」という道具をどのように使うことができるか。それはその道具を使いながら磨くというプロセスだった。飽くなき探求のワークショップの間、フラストレーションを爆発させたり、アホなことを言って先生を困らせたりもしたが、それは、「自分という実験室」を働かせる練習であり実験だったのだと今思う。

 ガテーニョ・アプローチを使うということは、自分自身を現実的に使うことだと思う。そのために「自分という実験室」を働かせる。そのために自己観察をする。無意識にある「こうであるべき」という思い込みを打ち砕くことができる。そして学習という人間の本来持つ機能を信頼できるようになる。すると、私は新しい未来に向けて常に自分が新しく更新されていくことを受け入れられる。この世に存在し始めたころからずっと継続している学びのルーツが自分にはある。
私は自立しており、常に一瞬一瞬新しい未来と出会っている。こんな自由があるだろうか。ガテーニョ・アプローチによって、私は現実世界に密着しつつ、自由であることの可能性を実感することができたと思う。

ヤング博士のワークショップでビッグバンから現在までの時間を一時間の縮尺に変換するという実習をしたが、計算機を使って何千何万という数字を計算することで「時間」にも触れることができた。Here and Nowを体験から学ぶことで、無限の時間を自分の経験に変えて生きている自分に気づくことができた。人間が純粋な学ぶシステムとして、どのような未来にも立ち向かっていくことができる力強い存在だと思えた。人が変わることができる存在であること、変わらずにはいられない存在であることに気づくことができた時、えもいわれぬ自由を感じた。この自由こそガテーニョ博士が私に教えてくれたものだ。

この度、このGattegno collective memoirを書きながら感じたことであるが、ガテーニョ博士が生まれて100年たった今、博士に会ったことのない私の中にも、こうしてまるで祖父のように博士は生きているのである。

 
安田ヨウコ YOKO YASUDA
1967年東京生まれ。「サイレントウェイ東京」スタッフ。「からだとこころを楽にするレインボーラボ」主宰
1993年ごろ日本語教師養成学校でサイレントウェイに出会う。アラード房子に師事。荻野紀子、品田潤子と共に営む「サイレントウェイ東京」でサイレントウェイやガテーニョ・アプローチのワークショップを主催するほか、サイレントウェイで日本語を教える。また、心身の調和した使い方を学ぶアレクサンダー・テクニークの教師でもある。Subordination of teaching to learningの考えを使って日々学び、教えている


サイレントウェイとガテーニョ博士のこと

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